「光輪の超魔神フーパ」感想。「家族」をテーマに近年のポケモン映画で抜きんでた出来

2015年のポケモン映画「光輪(リング)の超魔神フーパ」は、伝説のポケモンが多数登場して「伝説 vs. 伝説」バトルが繰り広げられるというなんとも大味なプロモーションに不安にさせられました。しかし観てみると印象は大きく異なり、近年のポケモン映画の中でも身近なテーマを扱って、共感できるいい作品だったと思います。

100年前、本作のメインの伝説のポケモン「フーパ」(解き放たれし姿=ごっつい方)が、舞台となる「デセルシティ」に現れたところがストーリーの起点となります。フーパは街の人たちの依頼をこなし供え物を貰う生活をしていきますが、どうも街の人々とフーパの間には互いへのリスペクトや友情のようなものは芽生えず、あくまでも力持ちの変なヤツ程度の扱いであったことが伺えます。なぜそうなのか詳細には描写されないが、フーパがあまりにも不遜だったためでしょうか。

リスペクトされないフーパは己の力を誇示することに執心し、伝説のポケモンをどんどん「おでまし」させては倒すという迷惑な行為を繰り返すようになります。人々は困りはて、やがて、グリスという人物の手でツボに封印され、いましめられし姿(かわいい方)になって、グリスと供に暮らすようになったのでした。

映画本編では、グリスの2人の孫(藤原竜也、しょこたん)と暮らす中で人の情や家族の温かみを知ったフーパが登場します。そして、ツボの封印が解けることで、心が満たされず、ただ力を誇示し続けていたころの自分に取り込まれることを拒み、フーパ vs. フーパ、伝説 vs. 伝説のバトルが始まります。伝説バトルは別に怪獣大行進的な趣のものではなく、2対のフーパの対決であるわけです。

「伝説バトル」の一点押しを見ていると上記のような部分がどこまで意図的に組み込まれているのか若干不安になりますが、グリスの言う「家族」という言葉がひとつキーワードになっていて、裏テーマ的な位置付けとしては明確に存在しているのでしょう。

ポケモン映画はここ3年ぐらいは映画館で観て、その前の作品もひととおりHuluなどで流し見程度には観ているが、こうした身近なテーマを取りあえげているのは珍しいんじゃないかと思います。2014年の「破壊の繭とディアンシー」なんかは「女王様のダイヤを作る力が不完全だから生命を司るポケモン・ゼルネアスに会いに行く」という、普遍的な成長物語と捉えるのもちょっと飛びすぎかなあというストーリーでした。そういうのも悪いわけではないですが、自分に置き換えて考えられるテーマの方が好きですね。

あと、フーパのキャラクターが実際なかなか可愛らしくて、よくでてきてるのもよかった。「おでまし~」「いしししし」といったセリフにあざといキャラ付けがされているような印象を持っていましたが、映画の中では、他者を思い、少ないボキャブラリーを使って懸命に他者とコミュニケーションを取ろうとしているのだなとわかりました。

このサイトの管理人

小林 祐一郎@heartlogic
息子と一緒に始めた「ブラック2・ホワイト2」で初めてポケモンに触れる。対戦を少々嗜み、好きなポケモンはコジョンド。つらい思い出の多い技は「とびひざげり」。休日はポケモンセンター周辺によく出没します。

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