初代ポケモン海外移植からポケモンGOまで多数のエピソードが明かされた岩田聡・任天堂元社長追悼対談

4Gamer.netにて特別対談として、今年(2015年)7月に亡くなった岩田聡・任天堂元社長を偲ぶ対談が掲載されています。

【岩田 聡氏 追悼企画】岩田さんは最後の最後まで“問題解決”に取り組んだエンジニアだった。「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」特別編 – 4Gamer.net

あらためてポケモンとの深い関わりを知る

カドカワ社長の川上量生氏、(株)ポケモン社長の石原恒和氏に加え、岩田氏をよく知るクリーチャーズ社長の田中宏和氏、ハル研究所社長の三津原敏氏というメンバーで、岩田氏のあまり語られないエピソードが次々と紹介されていきます。

時系列で語られるそのエピソードが、初代ポケモンの海外移植からポケモンGOまで、任天堂の話のはずなのにポケモン率がやたらと高いことに驚きます。

  • 初代ポケモン海外移植:日本語版のソースをハル研究所社長時代の岩田氏が解析
  • ポケモンスタジアム:コア部分のアルゴリズムやセーブデータの構造を策定。アセンブラのソースをCに書き換えながら制作
  • ファイアレッド・リーフグリーン:開発が佳境にさしかかったころに「今やるべきです」とワイヤレス通信を導入
  • 映画「ディアルガVSパルキアVSダークライ」:映画館でのポケモン配信を実現
  • ポケモンスナップ:「コンピュータで写真の良し悪しを評価する仕組みを作れるんじゃないか」という発想から企画
  • (株)ポケモン設立:世界で展開し問題が多く出てきたポケモンのライセンスコントロールに関する道筋を作る
  • ポケモンGO:「未来に向けてポケモンで何ができるか?」の新しい試みとして、岩田氏肝煎りのプロジェクトだった

これ以外にも、「MOTHER2」などほかのタイトルのエピソードも語られています。

ポケモンが登場した90年代後半あたりから最近まで、私はたいしてゲームに関心を持っていなかったもので、このころのゲームシーンをよく知らず、岩田氏の業績も正直まったく知りませんでした。こうしたテキストを読んで、改めて偉大な方だったのだなと感慨にひたっています。

このサイトの管理人

小林 祐一郎@heartlogic
息子と一緒に始めた「ブラック2・ホワイト2」で初めてポケモンに触れる。対戦を少々嗜み、好きなポケモンはコジョンド。つらい思い出の多い技は「とびひざげり」。休日はポケモンセンター周辺によく出没します。

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